Fukushima50の名言まとめ!吉田が耳打ちしたセリフは何?

2020年3月に公開された映画「Fukushima 50」は門田隆将著のノンフィクション書籍「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作として、東北地方太平洋地震で起きた福島第一原子力発電所事故を題材に描かれた作品です。

原発事故に対応し奮闘し続けた50名の作業員たちの姿がかなり忠実に再現されたヒューマンドラマでもあります。

今回はこの「Fukushima50」での名言や吉田が耳打ちしたセリフについてご紹介したいと思います。




Fukushima50のあらすじ


2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の最大深度7という地震が起こり、巨大津波が発生し、福島第一原子力発電所が被害を受けます。

津波によって浸水被害を受け、全電源を喪失(ステーション・ブラック・アウトSBO)

冷却機能を失ってしまったことで、原子炉はメルトダウン(炉心溶融)してしまう恐れが出てしまいます。

メルトダウンしてしまえば、かなりの被害がでてしまうため、作業員たちは最悪の事態を免れれるため奮闘していくことに。

原発内に残り原子炉制御を試みる伊崎らと緊急事態本部と統括する吉田。

本店や官邸とのやり取りに苛立ちを覚えながらも現場は混乱し、状況も悪化していくことになってしまいます。

このままでは、被害の範囲は半径250キロメートルに及び東日本の壊滅の危機に陥ってしまうため、人々を非難させ、残された手段である「ベント」を試みます。

ベントは作業員が原子炉内に入り圧力を降下させる直接行わなければならない作業。

危険を伴う作業ですが、最悪の事態を免れるため作業員たちは命をかけて挑んでいくというストーリーになっています。

Fukushima50の名言まとめ




Fukushima50での名言をご紹介します。

この手であいつを助けてやりたいんです。

圧力を下げるため、汚染された原子炉建屋内に決死の覚悟で乗り込んでいく吉岡秀隆演じる福島第1原発5・6号機当直長の前田拓実のセリフです。

あいつの性格は僕が一番わかっています。
僕は1号に育てられたようなもんなんです。
ブランドエンジンアになれたのも1号のあいつのおかげなんです。
この手であいつを助けてやりたいんです。行かせてください。

前田拓実は原発によって成長させてもらったという思いから原発を救うこと、そして家族や故郷を救済したいという強い思いが伝わってきます。

佐藤浩市演じる伊崎利男のセリフも印象的でした。

子供と一緒でやんちゃな奴もいれば大人しい奴もいる。1Fで一番手がかかるのは1号機だ。

原発に対して子供のように例える表現が、とても愛情を感じました。

自分が長年働いてきた職場であり、愛着のある場所であるというのがとても伝わります。

何が何でも守りたいんだ!

メルとダウンが始まり、危険度が増す中、ここにいる意味があるのか?無駄死になってしまうのではないかという若手の作業員に言った一言です。

俺たちがここから退避をしたら、この発電所一帯を放棄することになるんだぞ!
今、避難をしている人たちは、ここにいる俺たちに何とかしてほしという思いを込めて
自分たちの家に背中を向けたんじゃないのか?
俺はここで生まれてここで育った。何が何でも守りたいんだ!
最後に何とかしなきゃいけないのは現場にいる俺たちだ。

ふるさとを守りたい、家族を守りたいという伊崎の思いが伝わるセリフでした。

死と隣り合わせの状況に居ながら、家族やふるさとを想う伊崎の人間性を感じた場面でもあります。

作戦名は「トモダチ」

横田基地の飛行場で米軍が援助に出動する時の作戦名です。

作戦名は「トモダチ」だ!

9.11のテロの時日本の消防救助隊は一番に駆けつけ、本当の友達のように助けてくれたということからこの作戦名にこの名前が付けられていました。

米軍兵のジョニーも水を運びながら、伊崎にお礼を言われ、「トモダチ、トモダチ」と言って通り過ぎる場面もありましたね。

誰かがつらい時には他の誰かが助けてあげる。そんなことが国同士でもできることは素敵なことだなと感じました。

お前だけはおれと一緒に死んでくれると思っていたんだ。

食道がんを患っていた吉田から最後に伊崎にあてた手紙の内容の中にこの言葉はありました。

伊崎あの時はお前がいてくれて本当に良かった。
状況がさらに悪くなったら最後は全員退避させ、お前と2人で残ろうと決めていた。
お前だけは俺と一緒に死ねると思っていたんだ。

2人の絆がよく伝わるセリフで、感動してしまいました。

2011年の3月15日、2号機の格納容器の圧力が上昇し最大の危機的状況時に陥った時、
吉田さんは床に座り込み、頭を下げて座禅を組み瞑想するかのように「一緒に死んでくれる人間」の顔を一人一人思い浮かべていたそうです。

その時一番に思いついた顔は伊崎さんだったのかもしれません。

伊崎さんの戦友とも言える吉田さんは残念ながら58歳という若さで亡くなっています。

二人の絆の強さは吉田さんが亡くなった後も変わらず続いていくでしょうね。

吉やん。今年も桜が咲いたよ。

映画のラストシーンで帰宅困難区域に帰った伊崎が桜並木で桜を見上げるシーンのセリフです。

吉やん。今年も桜が咲いたよ。

このシーンは福島第一原発事故を風化させていけないというメッセージが込められています。

綺麗な桜が満開に咲いていても帰還困難区域で誰も入れない。

誰も見れないのに桜は何十年も咲き続け、廃炉作業も何十年も次の子供たちに託されていいきます。つまり原発はまだ終わっていないということです。

過去の事故をその時で終わらせるのではなく、語り継いでいく必要があることをこの映画のラストで伝えてくれています。

吉田が耳打ちしたセリフは何?

官邸にいた東電の武黒一郎から、「官邸がグジグジ言ってんだよ!」「海中の不純物が中性子に当たって再臨界を起こしてしまうかもしれない」からと海水注入の中止してほしいと連絡が入ります。

吉田は「何言ってるんですか?とめらませんよ!」と反発。

その後、吉田さんは東電本店からも中止命令が来ることを予想して、あらかじめ注水担当の佐々木のところに行って耳打ちをします。

その時の耳打ちした内容は注入を続けろという内容のものでした。

「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」

この吉田さんの機転によって、注入活動が続けられ、原子炉の冷却が続行され、最悪の事態を回避できたのです。

テレビ会議で怒りをあらわにする場面が多い吉田さんでしたが、本店にもかみつく姿が吉田さんの元で部下たちの心を一つにしたのでないかと思います。

東北地方は吉田さんの機転で救われた言えるのではないでしょうか?

まとめ

「Fukushima50」での名言や吉田が耳打ちしたセリフについてご紹介しました。

緊迫したシーンに、心打たれるセリフで感動した人も多いかったのではないでしょうか?

あの東北地方太平洋地震の時に何が起こっていたこと、原発事故に関わった作業員の人たちの勇気と行動に感銘を受け何度も見返したくなる映画でした。

福島第一原発事故を風化させていけないというメッセージをこの映画がこれからも伝えていってくれるのではないかと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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